
歴史
タタラ製鉄の名残を残す森林の中の遺跡
タタラ遺跡
かつて、人々は鉄を作るため砂鉄が豊富な中国山地を移動しながら作っていました。大茅の永昌山鉄山は、元禄12年から明治期まで製鉄がおこなわれており、遺跡には当時の水路、家の石垣や鉄のカスが今も残っています。 中国地方の山地は、全国の70%を占めるタタラ産地として有名でした。それは、良質の砂鉄が豊富で、然も鉄を取り出すのに大量の木炭を使ったので、炭焼き用の原木に恵まれている等の条件が整っていたからです。
中でも永昌山鉄山は、隣の兵庫県宍粟市(旧千種町)で行っていた各鉄山の技術、文化等の影響を多分に受けて、鉄の産地として繁盛していました。今もその遺構が残っており、往時を偲ぶことができます。村内には大茅の他、塩谷、谷口、引谷地内にもあって、このタタラ場には必ず守護神として祭祀した金屋児神という神様がありました。












